見たかった風景  訪ねてみた建物

2014年09月05日

 

 その1・・北浜の倉庫~色内3丁目

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『明治二十二年、色内、手宮地先海岸三万一千坪埋立竣工、南浜、北浜町が新設された。

 その場所に出来た北浜の倉庫で、雪国の町なみにあるような、ひさしの深い雁木造りになっている。

 荷馬車が唯一の運搬機関だった頃、道路側の柱に馬車馬がつながれているのが、何か西部劇をみるような気がしたものだった。』

 

「是非みてみたかったな。」

 

その2・・北浜~色内3丁目

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その3・・艀の上の小屋

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○訪ねてみた建物

その1・・近江写真館 ~梅ヶ枝町

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 「ごめん下さい。また来ました。今日は錨屋旅館と岩手屋の所在地が知りたくて。・・・。貴重な情報ありがとうございました。また、来ま~す。」

 

 

その2・・北廓の家(現 本多商店)~梅ヶ枝町

近くを通る方に、「この辺に以前、本多商店がありませんでしたか?」

「ん~聞いたことがあるんですけどねえ。」

「赤岩へ行く道は、この道ですよね。そこにあったということなんですよ。」

「赤岩へはこの道を行きますよ。この辺も、すっかり変わっちゃったからねえ。」

「さがしてみま~す。ありました。~後ろの景色が似ています。」

 

DVC00009.JPGCIMG5472誰が何と言おうとここ‼ 私の独断で決めました」

  『小さな川をはさんで両側にふしぎな家が並んでいた。

 入口ののれんごしに色タイルでかざられた中がのぞけ、額縁に入った女の人の顔が見えた。芝居の舞台を見るように二階の戸袋の漆喰の額に何なに楼とか何なに屋と書いた文字があって、そして人けがなく静かであった。

 小学校の時の赤岩への遠足の帰りみちなどにここを通ると何ともふしぎな街だと思った。

 松ケ枝あたりにあった南廓に対して北廓といわれたこの梅ケ枝町あたりは明治四十三年に遊郭としてのかたちが出来上がった。

 川は暗渠となり、その面影をつたえる建築は、入母屋づくりのこの家だけになってしまった。』

 

SS写真店 ご主人「そこに石門があって下から上までず~っと並んで建ってたんだよ。今はほとんどわからないけどね。」「船が入って来た時は、それこそ、よけれないくらいだったんだよ。」

 

 

その3・・一寸屋石蔵~色内三丁目

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その4・・岩手屋~色内二丁目

DVC00006.JPGCIMG5569~似ているようだけど、屋根の向きがちがうんだよな。

 

その5・・錨屋旅館~稲穂二丁目

 『小樽駅を港の方に下がったあたりに何軒かの旅館があって、なかでも錨屋は大きな建物であった。

 初夏の頃になると、新しいシャツやセーラー服姿の修学旅行生が宿の前に群がり、小樽で何かスポーツの大会などがある時は、トレーニングウェアの運動選手たちがこの旅館に出入りしていた。

 そこには、現代的なホテルには見られない旅の風情、宿の情緒、といったものがあった。

 昭和51年の冬にとりこわされた。』

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CIMG5573CIMG5574ここに錨屋旅館はあったようです。

 

写真集

千葉 七郎

小樽の建物

北海道・室蘭

噴火湾社   より

 

CIMG5463旧手宮線の公園整備 進んでいます

CIMG5561入港するデスカバラーと出港するフェリー