ぐうぜんが

2014年09月01日

 先日、手宮を歩いていて撮った一枚の写真。

DVC00027.JPG~ どっかで

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『 写真集 千葉七郎 小樽の建物

   北海道・室蘭  噴火湾社

    1978年 4月15日 発行』

 

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DVC00017.JPGDVC00027.JPG「ん 越後や ‼ 」・・ 偶然 撮った写真。 

以前、写真家や記者が写した場所。

その場所に いまでも建物が同じようにあるのか 探してみたいな。」と思ってました。

 『、、、。その美しさと人間性を損なわれつつあることは、小樽のまちも例外ではありません。

 もう一度この小樽の街の古い建物たちを心してみてもらいたいのです。

 本州各地の様式を取り入れ乍も、北の雪国である小樽の風土性が加味され、環境に敏感な人間の智恵が生み出した平凡なたくましい民家の健やかな美しさ。

 新しい天地にあたらしい伝統をうちたてようとした開拓精神のそれらのように鮮烈な美をたえて屹立する明治の建築。

 すでに社会的機能を失いつつあるこれらの建物の、その生命ともいうべき本来的なあり方と美しさを、正しく認識し、評価し、これに学ぶ時、この街の古い建物たちのいのちは、未来の小樽のまちに、美しく生きいきとよみがえるであろうことを、私は信じているのです。』

 手宮へ出かけました。

 錦町の家

DVC00016.JPG「35年ほど前なんですが、こんな建物ありませんでしたか?」

「長年住んでるけどねえ。国道側かな?」~残念ながらありませんでした。

 

錦町~市場のあるところから下へ行かないで、河を越して右へ二三丁入ると、何百軒という「曖昧屋」がのきをならべて、色々な小路一杯に立てこんでいる薄暗くしてある土間に女が立っていて外を通る男を呼んだ。その「曖昧屋」の間々にハメ込まれたような表だけにペンキを塗りたてた安ッぽい「バー」が無茶苦茶な喧しい蓄音機の音を往来へ吐き出していた。船員がサンパンで上陸してくると、みんな此処へやってきた。ここにいる女達は、汽笛の音色やその鳴り方で、何船が入ってきたのか、又出て行くのか、知っていた。  小林多喜二  転形期の人々

DVC00018.JPGCIMG5469ここだと思うよ

 

次は梅ヶ枝町へ

近江写真館

DVC00008.JPGあの病院が建っているあたりにあったんだけどね。でも、昔っからやっている写真館もあるよ。

CIMG5473あのーこちら、近江写真館ですか。」

CIMG5478近江写真館はなくなったんだよね。でも、近江写真館で使っていたカメラがありますよ。

CIMG5479こちらと

CIMG5480こちらです

「私が小学生の頃。運河の船に荷物を運ぶ仕事を手伝わされましたよ。小樽中の小学生がそうだったと思いますよ。」

「日銀の前に勤務していたんですよ。戦争が終わって、沖縄からアメリカ軍が船でやって来て、小樽に上陸した時、「出迎えなさい。」と言われ、上陸する瞬間を見てましたよ。船からジープで上がってきて札幌へ向かいましたよ。色内には人は一人もいませんでした。アメリカが来るんですからね。みんなじっとしていたんじゃないですか?」

「進駐軍が来た時は、倉庫の中は空にさせられましたよ。、、、、。」~貴重なお話(30分ほどの)、ありがとうございました。「また、聞きに来ます。」

 帰り道、手宮で

CIMG5481越前?越後やは、見つけたし、残るは越中だね。

『これからも手宮を歩いてみよう。』

 

「今日は防災の日、91年前関東大震災の起こった日。色内運河公園では。」

CIMG5488こんな広いグランドもあったんだ

CIMG5490小樽市総合防災訓練実施中

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私が着いた時は、

『毒液災害対応訓練』(倒れてくる電柱を避けようとし、バスと有害な液体のせたタンクローリーが衝突。液体が漏れ、負傷者も出たことを想定)が行われていました。

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CIMG5499負傷者のけがの程度を判別~災害時にはこれが大切なようです。

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関東大震災(大正12年)以降に耐震構造として注目された鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造)の小樽への導入は

DVC00035.JPG旧三井銀行小樽支店(昭和2年)

DVC00042.JPG旧神野兄弟合名会社(昭和7年)