ほの暖かい感じ

2014年10月14日

小樽市 桜町

この地域は、坂の多い地域。(小樽全体がそうですけど)

「眺めが良いなあ。」と感じるとともに、

「何か人為的に計画して作られたような気がずっとしていました。」~(7月5日小樽ライトアップ散策ガイドツアー)

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『やはりそうでした。』

CIMG6477昭和42年(1967年)小樽市役所 発行

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発端

・・・熊碓は海岸附近に一部落を形成し、部落民は主として漁業関係に従事していた。国鉄線にほぼ並行して国道が通り、それより山手一帯は大きな沢地となっており、その字名も寺の沢といい、部落民は一般に農業に従事し、それらの農家が点在する至って寂しいところであった。

 たまたま昭和6年に札樽国道の大改修工事が始まり、当時平磯隧道のみは後回しになつたが、見事な広幅員の国道が現在の位置にできて、隧道の施行も約束せられるに至り、小樽市の発展は、俄然山越えのこのちにも向けられたのであった。

 小樽市の醸造業で聞えた野口喜一郎氏は、この熊碓に多大の関心を寄せ、知友川村岩吉氏(後の組合評議員)と市郊外毛無山からこの地域を展望して、非常に心を打たれるものがあった。殊にこの地域は一般海水浴場附近のように、シーズンオフになった後は索漠としたものになることもなく、四季を通じてほの暖かい感じを受けるところから、・・・。

 

銀鱗荘の建設

 さらにまた特筆すべきことは、この年から着手された銀鱗荘の建設事業である。むかしから鰊の千石場所として著名であった余市町の猪俣漁場も、打ち続く鰊不漁のため逐年衰微の一途を辿り、遂にその壮麗をうたわれた本屋をも手離すこととなった。これを聞いた組合長野口氏は、この建物を組合地区内に移設して地域の発展に備えると共に、北方漁場建築の粋を後世に遺そうと考え、当時の北海ホテル支配人盛田襄氏に命じて、(野口氏は同ホテル社長でもあった。)猪俣漁場本館の買収移築方を計画させた。

 当初は地区内の奥地を開発するため、1号幹線のロータリー付近に設置する予定であったが、その規模からいって、むしろ海に臨む眺望絶佳の地を選ぶべきであると考え、結局、平磯岬頂上の野口氏個人所有地約1万坪を敷地とし、迎賓館風に建設することとなった。かくて大林組の請負によりこれを見事に移転復元し、さらに新館・浴室その他各種の設備を施したのであって、その後の状況は一般周知のとおりである。(和光荘に‼銀鱗荘‼も)

 

町名の設定

・・・。さらに広く一般からも公募して、それらの中から慎重に検討を加えた結果、現存の町名である桜町その他が採択命名され、・・・。

 ただ惜しむらくは、その当時こうして検討に検討を加えた意義ある各町名、すなわち本町・望洋台・梅林・桜新町・紅葉平・神楽丘・千代の丸・慈光台等の名称が、今日実際上に残っていない。しかし東小樽の名称は、それ以来この地の急激な発展と共に、日を追うて著名になっている。

CIMG6471東小樽土地区画整理組合整理予定図(昭和8年)

CIMG6472わが家の近くに公園ができる予定だったんだ‼

CIMG6508整理前(全景)

CIMG6473整理前(東面の丘)

CIMG6474整理後(ロータリー附近)

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CIMG6475現況(西面の丘)~昭和42年頃

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CIMG6476現況(東面の丘)~昭和42年頃

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『東小樽土地区画整理』(昭和9年3月19日付 組合設立に関する設立許可の申請書を内務大臣に提出)~今日では、都市計画事業の遂行にはほとんどこの区画整理は書くことの出来ない要素となっているが、当時は北海道も都市計画の歴史が浅く、この種事業の試みられたところはなかっただけに、道庁としても陰に陽にこの事業を授け、幸いにしてこれを完成して、今日の発展の基礎を作ったわけである。・・・。・・・附近の内田漁場(鰊物語 内田五郎氏?)に一室を借りて自炊しつつ日夜孜々としてその成果をまとめた。

土地区画整理組合の発足

組合長  野口喜一郎

組合副長 田中作平(朝里村長)

熊碓村一円約40万坪の土地区画整理事業のスタート。

 

昭和15年整理完了~なお相当の残地があり。野口氏が替費地の残り一切を引き受ける。

終戦~農地法によりこの地域内整理地の一部がなお農地の形態を残していた関係上いわゆる農地法の適用を受け、すでに宅地化されるべきものの大半が再び農地に・・。

 →その後の住宅計画の一端を担って、その一部が再び宅地に還り、・・市営住宅等を建設するに至り、・・・。しかし野口氏の引受けた前記替費地は、ついに宅地への環元ならず、、、。

昭和31年、桜町の一部が大火に見舞われ、その主要店舗の大半を焼失したが、直ちに復興の槌音高く再建されて、・・・。

 

『朝里村大字熊碓村から小樽市桜町へ なったんだ。』

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CIMG5741夕日

 

CIMG6565台風の影響?昨日から停泊中のフェリー

 

 

しかし

CIMG6525わざわざ この地に移転した

 

CIMG6524龍徳寺別院 の今は

 

~2014.10.14より~