鰊場のうた(5)~キリ声の発祥

2015年01月15日

 この“キリ声”の発祥は三重県の伊勢神宮の造営のときに、棟木その他の大木などを大勢の人手で曳くときうたわれた「大廟木遣り」という木遣り音頭だといわれている。その後、東北地方に伝わり、北海道に渡ったという説と、徳川時代に本州の港から北海道に物資を輸送した弁財船(北前船)が航海のとき風に乗り、帆柱に帆をあげるとき“かこ”(水夫)達が、力を合わせるに用いたうたが、いつのころからか北海道の鰊漁場に入って来たともいわれている。昭和四十九年十一月二十五日夜のテレビ放映に、奈良県斑鳩町の三重の塔の建立の際に、大勢の人達の木遣り音頭がでていたが、北海道の鰊場の“キリ声”とまったく同じであった。また昭和五十二年十二月二十六日の夜のニューステレビに、三重県鳥羽双見浦のシメ縄取替えの時に、大勢の人達が大きな藁で造ったシメ縄をうたに合わせて作業していた状況が写されていたが、これも鰊場の“キリ声”と同じであった。

 明治四十一年(一九〇八年)五月二十四日の小樽新聞に、この“キリ声”を“松前木遣”と書いてあったのを見たことがあるが、“木遣り音頭”が“木遣り声”になり、いつのころからか“キリ声”に変化していったものとそうぞうされる。

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※キリ声~古くから伊勢神宮の造営のときうたわれた“大廟木遣り”が北海道に伝わったもので、鰊が大漁乗網した時、船頭の音頭で漁夫の士気を鼓舞する鰊漁場のうた