石炭桟橋~炭から油へ、盛衰の跡

2014年11月11日

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CIMG7240写真集 小樽築港100年の歩み より

 

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 港に突き出た巨大な構造物。そのがっしりした骨組みに、動脈のような鉄路が走る。これが、かつての小樽港の海運を支えた名物・手宮の高架桟橋である。

 いまは見るも無残に朽ちはてて、所在地さえ知る人は少ない。忘れられ、捨て去られた巨大な遺構ー。その痛々しい姿は、見る者の胸をえぐる。

 手宮桟橋は歴史が古く、しかも場所を変えて幾度か建て替えられている。初代が完成したのは明治十年。その三年後には、本道初の鉄道開通の機材陸揚げ桟橋として、旧桟橋のわきに新しい桟橋が建設された。

 この桟橋は、石炭積み出しにも使われたが、なんと三年後には、海中の木柱が海虫に食い荒らされて列車の通行が危険となり、海虫被害の激しい場所の柱を亜鉛板や銅板巻の木柱に入れ替える大改修の事態となった。

 写真の高架桟橋は、その最終段階の明治四十四年に鉄道院が建設したもので、当時としては、わが国でも最大級の石炭積み出し桟橋だった。

 全長四百八十七㍍、幅二十一㍍、高さは、満潮時の水面から十八㍍に及び、小樽港の一大偉観を誇っていた。

 設計時の石炭取り扱い能力は年間四十三万㌧。それが最盛期の大正十一年には、設計能力を実に三倍近く上回る約百二十万㌧に達したというから、すさまじい活気のほどが知れる。

 だが、この活気も長くは続かない。能力が限界を超える一方で老朽化が進む。逆に、国内の産業近代化などで石炭の需要はますます高まっていく。

 時代の要求に応じて、鉄道院は昭和七年、小樽築港に高架桟橋に代わる埋め立て岸壁を造成し、ここに高性能の大型石炭積み出し機・トランスポーターを登場させた。

 炭車の車体を回転させて石炭を瞬時に降ろす。これを巨大なクレーン船に高速度で積み込む。近代化の波は手宮・高架桟橋の余命をも断った。

 いまは、このトランスポーターも小樽にはない。石炭エネルギーの衰退と共に、苫小牧港などに移されたからだ。

 石炭から石油へー。その盛衰の跡をくっきり見せつけるように、旧高架桟橋の廃墟の横に真新しい石油タンクが、いくつも並んでいた。

~おたる今昔 読売新聞社編 昭和55年9月17日~10月21日連載より

 

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CIMG7483機関車が

 

CIMG7476この擁壁の上を走り

CIMG7481に突き出ていた

CIMG7482手宮桟橋

CIMG7480~でも、これは写真の高架桟橋とはちがうものらしいです