人生は挑戦

2014年11月19日

昨日、FM小樽を聞いていると、

「村田兆治氏の講演会があります。ご希望の方は、、、、、。」

早速、電話しました。

「入場整理券、用意しておきます。」

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『伝説のまさかり投法』~150キロを超える豪速球、そして140キロ台で大きく落ちるフォークボール。

どんな打者からでも空振りで三振を取る魔球と言われたフォークボールを操った本人が今、目の前に。

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「エースになって、肘の故障。熊野古道を歩いた。修験者となって。滝にも打たれた。引き際も考えた。」

『どうなりたいのか?』→『復帰より復活を』→左手首の腱を右ひじに移植(ジョーブ博士)

 

引退後、

中標津から手紙をいただく→子供たちへの指導→大きな拍手が私の背中を押した。以後、離島の野球少年たちに指導。

プロ野球選手のすごさを身をもって教えたい。

 

今でも130キロを超えるその投球を支えているのが、

 体の柔軟性~またわりをして楽々胸が床につきそう。

 腹筋背筋のトレーニング~会場から大きな拍手が。

 投げるとは→どこで→脚で~現役の時は、球団一→パリーグ一→12球団一走った

 

フォークを投げる時にボールを挟む2本の指でコップを持ち、水差しをも持って注いでしまう。

 

『やって来た過程を大切にして、前向きに何事にも挑戦していく。』

『自分を信じて頑張れ。』

 

『村田兆治』とは

 かつて、東京・ロッテオリオンズで活躍したプロ野球選手(投手)である。

 投球に関しては研究熱心だったことで有名であり自ら編み出した「まさかり投法」と呼ばれる独特な投法は、当時の野球ファンを唸らせるとともに、彼の代名詞となった。

 82年にひじを故障し、選手生命を絶望視される中、タブーとされてきた肘部分の手術に挑戦し見事成功、リハビリに2年を費やしたが1985年には復帰後11連勝など強烈な復活劇を見せた。1990年 40代でありながらシーズン2桁勝利を達成して引退。引退試合は雨の中、力投し、西武ライオンズに5回コールド完封で勝利。

 武骨で見事な選手人生であった。

~ニコニコ大百科より