小樽駅  別れ、再開…人生の縮図

2022年08月26日

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 列車が出たのだろうか。小樽駅に人波が絶えていた。

 閑散とした駅前広場に、タクシーが数台、ひまそうに客を待っている。

 大時計が午後三時十五分を指していた。

 駅には、だれもが深い思い出を抱いているに違いない。あの不安の中の旅立ち。雑踏の中の孤独感。

 人が去り、人が訪れ、別れを惜しみ、再開を喜ぶ・・・それは、いつの時代も変わらずに繰り返されてきた人生の縮図でもあるだろう。

 小樽駅は明治三十六年に誕生した。手宮ー札幌間に鉄道が開通した明治十三年から、なんと二十三年も後のことである。

 というのも、それまでの線路は手宮ー色内―南小樽と海岸沿いを走っており、これが北海道鉄道(現函館本線)開通により、現在の山手の地に移された経過があるためだ。

 駅名も最初は「小樽中央停車場」で、後に高島、稲穂、中央小樽、小樽駅と変わっている。

 ところで、小樽には市電がない。道は狭いし、山坂も多い。それに雪が深くては、とても電車など通せるものではないーと、たいていの人なら、はなからあきらめる。

 だが、小樽商人は、どえらいことを考えた。市電がダメならモノレールを通そうという計画である。それも、いまから半世紀も前の昭和二年のことだった。

 結局は“まぼろしの計画”に終わったが、当時は、青年実業家グループが中心となって高架電気軌道会社の設立に動き、世界で初めてモノレールを通したドイツへ現地調査したり、騒音公害防止を考えるなど、綿密に計画。PRのための市民大会を開くほどの熱の入れようだったという。

 しかし、さすがの小樽商人たちも、あまりに巨額な建設資金に手が出なかったらしい。

 時は変わって現代ー。青年会議所や若者グループが中心になって、新しい街づくりやSL復活プランなどが次々とうちだされている。

 小粒になったといわれながら、小樽の若き実業家たちのあたらしい息吹が、いま静かに燃え上っている

 小樽スケッチ 1979年(昭和54年)11月13日 読売新聞 より

 

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~2016.5.17~