サッポロビール~攻防し烈“麦酒商戦”

2015年03月17日

IMG_0965ビール合戦を演じたサッポロビアホール当時の風俗が興味深い

IMG_0966現在のしゃれた通りの元サッポロビールの河村ふとん店。ビルの間にはさまれるように当時の倉庫だけが残されている

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 つい最近、小樽の家具製作所が倒産した。負債総額は十三億円だそうである。

 小樽は商戦の激しい街だけに、繁栄と没落の記録は数知れない。

 そのなか、歴史に残る商戦といえばサッポロビールとサクラビールの対決だろう。食うか食われるか。商人のの意地をかけた、その血みどろの乱売合戦を、まだご記憶の人がいるに違いない。

 ビールの歴史は古い。明治後期には、すでにサッポロビールが全道市場を独占。小樽でも公園通りに特約店を置いて盛んに売り込んだ。

 これになぐり込みをかけたのが九州に本拠を持つサクラビールだ。大正初めに小樽に進出、市内の一流雑貨店と手を組んでまたたく間にサッポロビールの地盤を荒らし始めた。

 しにせのサッポロビールが黙って見ているわけがない。双方の値下げ競争はほんの手始め。料理店を巻きこんだり、芸者に懐中鏡や化粧品を贈ったり、あの手この手の販売競争。

 しまいには、公園通りのサッポロビール特約店の向かいに、サクラビールが専門店を設けて露骨な呼び込みを始め、ついに無料ビールまで登場させて客の奪い合いを演じたそうだ。

 この商戦、やがてサッポロ、キリン、サクラの三社が協定を結んで終止符を打つことになるが、この競争で当時の学生、青年はもちろん、婦人層にまでビール党が広まったという。

 さて写真は、ビール商戦もやや落ち着きを取り戻した大正末期のサッポロビアホール。現在の稲穂一丁目の河村ふとん店の角地である。

 当時としては最新型だったのだろう。古風なオープンカーとそれにたむろする若者たちの服装に、当時の生活がしのばれる。

 この建物、戦前に、現在のシャレた商店に改装されたが、裏手の倉庫は、つい最近まで往時の姿のまま残され、サッポロビールの小樽営業所として使われていた。

 だが、その小樽営業所も機構改革で、この春、根拠地を札幌に移し、倉庫は現在取り壊し中。跡地は駐車場になる予定だという。古い舞台が、また消える。

 

~おたる今昔 読売新聞社編

昭和55年9月17日~10月21日連載より