カテゴリー:乾児 絆

  • 古武士的な風格 田辺新一

    日付:2024年07月24日 カテゴリー:乾児 絆

    公共事業の発展に功績古武士的な風格があり、自らも武士道精神が好きな人である。まがったことが大きらいで、この人ほど小樽の公共事業の発展に尽くした功績の大きい人はいない。小樽千秋庵の○○の実父でいま九十一歳。ゆうゆう隠居の身 […]

  • 常に一家言もつ 松山嘉太郎

    日付:2024年06月29日 カテゴリー:乾児 絆

    小樽を愛し小樽に尽くす 人も知る本道業界きっての事業の鬼である。昭和十一年五月発行の人物覚書帳=茶碗谷徳治著には『実に典型的の商人であって、その商売ぶりは商人の通癖たる下司根性がみじんもなく、自ら持すること高く常に一家言 […]

  • ピカ一の敏腕 蓼原吉蔵

    日付:2024年06月28日 カテゴリー:乾児 絆

    海産、中央バスの基礎築く 『細心な性格とは対照的に仕事は豪放なところがあった…』松川嘉太郎中央バス社長が述懐する蓼原吉蔵は四国の生まれ。北海道拓殖銀行小樽支店の貸付課長をしていたが、」代議士寺田省帰の世話を受けて商品倉庫 […]

  • ‶材木王〟に君臨 増田久五郎

    日付:2024年06月27日 カテゴリー:乾児 絆

    『商都小樽』建設に貢献』 大正半ばから昭和にかけて‶材木王〟の名をほしいままにしていた久五郎は、明治元年石川県は江沼郡大聖寺に、農家の長男として生を受けた。呉服反物を背負い、売り歩く小商いをしていたが明治二十五年、だれも […]

  • 鋭い先見の明 坂口茂次郎

    日付:2024年06月26日 カテゴリー:乾児 絆

    初のインチ材 輸出をする 『人物覚書帳』(茶碗谷徳次著)は茂次郎についてこう書いている。『一見大阪商人風なさわりの柔らかい人で、特に座談のじょうずな人だ。ただ坂口氏を難ずるものは人間がうすっぺらだというのである。それは人 […]

  • 最初の公衆浴場 能島繁蔵

    日付:2024年06月24日 カテゴリー:乾児 絆

    道路の建設にも尽力 手宮の中央バスターミナル手前に通称‶能島通り〟という通りがある。明治十年ごろ繁蔵は手宮に農場を開くとともに錦町五二に新居を構えた。数年後札鉄道が敷かれ、手宮が起点になると一帯は日の出の勢いで発展した。 […]

  • 世界をまたに 亀田浦吉

    日付:2024年06月23日 カテゴリー:乾児 絆

    自力本願で『木材王』に 『人間千人の味方を得るより、確実に一人をつかみなさい。ほんとうによく自分を知ってくれる一人が一番大切なのです。この人が必ず、また幾人かをとらえてきます。一歩一歩、堅実に自力によって足場を固めていく […]

  • 家庭暖房を確保 横山準治

    日付:2024年06月22日 カテゴリー:乾児 絆

    日支事変を契機に 奔走し統制会社を作る 『横山が一番力を入れたのが、戦前は道石炭統制会社であり、戦後は道議だった。いわゆる人の上に立って物事を行なう人だったから石炭統制会社時代には彼が中心となって活躍したのだろう』と大橋 […]

  • 教育者タイプ 伊勢谷吉蔵

    日付:2024年04月24日 カテゴリー:乾児 絆

    養父の財産を守り抜く 『市議をしていた当時の吉蔵を知っているが、ともかく温厚な人がらで印象のよい人だった。青森生まれで演説はお世辞にもじょうずとはいえなかったが、まあ当時の市議としては学識者であった』吉蔵の借地人だった工 […]

  • 初代の消防組長 二代目井尻静蔵

    日付:2024年04月19日 カテゴリー:乾児 絆

    消火機動力ふやし、報知機も 昭和二年に手宮町一帯をなめつくした‶手宮大火〟というのがあった。あれよあれよという間に五百余戸を焼いたというから小樽始まって以来の大火だったに違いない。それまでの消防力というのは常備消防は少な […]