カテゴリー:乾児 絆

  • ゼネストのチャンピオン 浜名甚五郎

    日付:2020年05月26日 カテゴリー:乾児 絆

     小樽の数多の艀業者のなかに浜名甚五郎と称する異色人物がいた。小樽は大正末期から昭和初期にかけて、左翼労働運動のメッカであったが、昭和二年六月の港湾争議はその規模においては種々の斗争の極付であったとしてよい。この時の中心 […]

  • 妓楼番頭が出発点 早川両三

    日付:2020年05月23日 カテゴリー:乾児 絆

     そのころ中央では小樽をどのようにみていたのであろうか。次に掲げるのは朝野新聞の〈北海道後志通信〉(明一三・七・二一〉である。  …家族を凡そ二千五百軒、人口は一万四千余にして(中略)石狩国札幌市府への要路に当 […]

  • 事業の鬼 寺田省帰

    日付:2020年05月22日 カテゴリー:乾児 絆

     明治の小樽の電気企業の系列は小樽電燈舎(明二七)―小樽電燈合資会社(明四〇)―小樽電気株式会社(明四四)ということになる。 日露戦争を契機に急速に膨張した日本の産業資本は、動力用電気の需要増大を訴え、それに併い電力業は […]

  • 小樽新聞の礎 上田重良

    日付:2020年05月20日 カテゴリー:乾児 絆

     昭和十七年十月三十一日。この日道内の各日刊新聞は一本化し北海道新聞の旗の下に結集した。そして‶紙の弾丸〟化の至上命令に応えることになったのである。 一六七二五号を以てその歴史に終止符を刻んだ小樽新聞は同日の終刊の辞で〈 […]

  • 室蘭の樽僑 板谷順助

    日付:2020年05月16日 カテゴリー:乾児 絆

     北海道の海運界の双璧であった板谷宮吉と栗林五朔は共に新潟県人である。宮吉が出郷したのは若冠十四才の時。松前福山を踏台にして小樽でささやかながら暖簾を陽げたのは明治十五年、時に二十七才であった。 そこころ五朔は何処で何を […]

  • 会津藩魂 高野源之助

    日付:2020年05月15日 カテゴリー:乾児 絆

     北海道初の道会議員選挙の実子は明治三十四年八月十日である。府県会の魁となった東京府会より遅れること二十三年、思えば長かった時間遅れであった。当時の有権者数は僅か二六三五人。三十五の議席をめぐって六十九人が逐鹿戦を演じた […]

  • 道会の名物男寿原重太郎

    日付:2020年05月13日 カテゴリー:乾児 絆

     諷刺諧謔時に凄い啖呵もある。その数字を駆使して攻撃の手を押へ、必殺の言を吐いてゐる。斯んなの仲々いないのであるが、彼が演壇から罵倒しても反対は一向に平気だ。弥次るものさへないのである。肥満倭小それが額に眼鏡をあげて延棒 […]

  • 寿原弥平次 英太郎父子

    日付:2020年05月12日 カテゴリー:乾児 絆

     〇井 今井の傍系会社〇二 藤武良は〇井を今日にあらしめた創業の三兄弟藤七、武七、良七の名をかたどったものである。まさに毛利家の家訓を地でゆく三矢体制であるが、現在に見る‶寿原コンツェルン〟の発展も弥平次、猪之吉、重太郎 […]

  • ‶寿原財閥‶の始祖弥平司

    日付:2020年05月09日 カテゴリー:乾児 絆

      今日ではその言葉の持つイメージはいささか旧踏に属するが世にいう‶財閥〟という呼称の該当者を北海道に求めることになると、現実にはなくてもやはり小樽の寿原、板谷、函館の相馬の御三家あたりが挙げられるのではないだろうか。  […]

  • 海運の先導 藤山要吉

    日付:2020年05月06日 カテゴリー:乾児 絆

     深川から増毛に至る留萌本線。そこには十二の駅がある。それらの駅名は北海道の地名と同じパターンでアイヌ語の意訳や訛化を和語にしたものが多いが、そういう常套とは異なって日本人の姓を冠したのが三つもあるから他の鉄道線に比べて […]