お知らせ・日記

  • 魁陽亭の坂登った日露代表

    日付:2024年02月11日 カテゴリー:日本郵船・日本銀行・海陽亭

     このところ数年間に小樽駅前は面目を一新したように見える。小樽の再開発はとにかく駅前からというわけであろうか。 駅正面と第一ビルの間のコンクリート壁に、姉妹都市ナホトカ市との友好を示す、素晴らしいデザインのかもめが描かれ […]

  • 長年の疑問

    日付:2024年02月11日 カテゴリー:原稿小樽明治29年からの四十年誌

     汽船は定期船その他入港せる汽船もありたれども運賃の関係もあり問屋筋の都合もありてか海産物などは絶えて汽船積みにしなかったのであるが、この頃より移住民が各地より続々来るのでそれを小樽へ揚陸せしめ小樽より石狩原野その他へ送 […]

  • 2月7日は

    日付:2024年02月11日 カテゴリー:一歩一歩

    3度ほど伺った根室 北方領土はすぐそこなんです 2月7日伊豆下田にて〇歯舞群島(ハボマイグントウ)~5つの主要島と貝殻島や春苅島などの小さな島々からなっています。5つの島は多楽島・志発島・水晶島・勇留島・秋勇留 […]

  • 小樽雪あかりの路26

    日付:2024年02月10日 カテゴリー:祭り・祈り

    今日 オオワシが舞っていました二羽百年片思作家の想像力は、小樽で色褪せずに輝きを放っている。 小林多喜二は、北海道の物流の拠点になっていた小樽を「北海道の心臓のようである」と喩えた。当時の物流の歴史を知ると、こ […]

  • 昭和会あとさき(下) 

    日付:2024年02月10日 カテゴリー:う~ん

     大正十五年十月の市会議員の改選では、永い間絶対多数を誇った革新クラブは三十六名の定員中十七名の当選者を得ただけで、第一党であったが、昔日の威勢ではなかった。 然し公正会も当選者僅か七名で、後年の代議士、戦後市長になって […]

  • 昭和会あとさき(上)  

    日付:2024年02月10日 カテゴリー:う~ん

    ・・・・・・。 こういうことを長々と書立てるものは、今の自由党の前身ともいえる昭和会が昭和2年結成された。提唱者は杉江仙次郎さんであったろう。然し結成されざるを得ないものが当時の小樽にみなぎっていたのも大仰だが流れていた […]

  • 企業(中小)の救い主 竹田助太郎

    日付:2024年02月10日 カテゴリー:乾児 絆

    奨学学資金制度生みの親『まがったことが大きらい。正直の上にバカのつくぐらいの人でした…』…いまはなき夫を語るカウ未亡人(六七)のことばを裏書きするように、助太郎の業績はいまなお市民の間に浸透している。新潟は直江市、自作農 […]

  • 汽船部を設立 初代 酒井正七

    日付:2024年02月09日 カテゴリー:乾児 絆

    有数の回漕業の地位 『他人に迷惑をかけない人間がまともな人間といえる』『人間として生を受けたからには人のためにならなければならない』と正七は常に口にしていた。 正七は新潟県柏崎市で米穀業を営んでいた松原城慶の二男として生 […]

  • ガンコおやじ 畑貫治

    日付:2024年02月08日 カテゴリー:乾児 絆

    『北選米』売り出す 『まじめに生活しなきゃ世間の人にきらわれる」と口ぐせにいっていた貫治は、米穀業者やお客さんの間でガンコおやじとしてけむたがれていた。 明治十九年一月十九日石川県の坂井家でうぶ声を上げた。家があまり裕福 […]

  • 海運界の風雲児 二代目 塩田安蔵

    日付:2024年02月07日 カテゴリー:乾児 絆

    樺太航路に豪華船造る 現代風にいえば豪華客船とでもいおうか、昭和の初め安蔵は全財産をたたき売って千六百㌧の貨物船を買った。そして小樽―樺太間の貨客船に改造して就航させた。この船『永宝丸』といったが、客の間にすこぶる評判が […]