カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

  • 小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(二十二)

    日付:2018年06月11日 カテゴリー:三井銀行・三井物産

    五 第一次世界大戦後の雑穀商の旺盛期と衰退 製品の検査に就ては、海産物は明治三十五年早くも各産地に検査員を置き規定を設けて不完全ながら等級を分って売買の標準としていたが、農産物はその種別の多い事と、産地に依て品質の優劣の […]

  • 小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(二十)

    日付:2018年06月04日 カテゴリー:三井銀行・三井物産

    四 漁業と繩莚商との関係並に雑穀に対する需要の移行 その後雑穀の出廻りが旺盛となり、輸出も盛大になると、雑穀包装用の叺、繩の外、青豌豆手亡豆、澱粉の輸出用麻袋、未粉用の通(かよい)袋、清粉用の中(なか)袋等が需要されると […]

  • 日本郵船小史10~(五)欧州大戦より第二次世界大戦まで

    日付:2017年10月08日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

    (大正5年ー昭和17年)(3)当社欧州航路の北海道寄港欧州大戦中は海上運賃高騰し不定期船は日本/欧州屯当り30円であつたが当社欧州定期船は3円50銭であつた。依つて貿易商は当社の船腹を手当すれば運賃だけで、屯当り26円5 […]

  • 日本郵船小史9~(五)欧州大戦より第二次世界大戦まで

    日付:2017年09月13日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

    (大正3年ー昭和17年)(2)北日本汽船会社の設立と樺太航路に於ける対立関係小樽を起点とする樺太庁の樺太命令航路の経営者は当社の外に大阪商船(大礼丸筑後丸就航)本間合資会社(駿河丸・幸成丸)山本久右ェ門(敦賀丸)の3社で […]

  • 西浦宅~その1

    日付:2017年07月25日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

    瓦葺屋根西浦宅 南樽市場に来るたびに気になっていた国道沿いのこちらのお宅。によると大正5年平屋建、寄棟造、桟瓦葺で正面にのある起り玄関を構える。内部は和室のみ。『瓦屋根・雪の重みにも耐えうる造りなんだろうな。』

  • 時代にみる広告と小樽

    日付:2017年03月25日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

     大正時代、扇風機を自動電気扇、ミシンは裁縫機械という名で売られていた。 大正中期の商品記録を見ると「最近では、口つきの革製婦人用の手提げが流行している」という記述があるが、ハンドパックという商品名の掲載は無い。(昭和に […]

  • 海難救助と小樽

    日付:2017年03月17日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

    「海はわが国を活かす〝動脈〟であり船は〝血液〟といえる……」 これは、財団法人日本海事広報協会が昭和63年に発行した「海事知識」という本の序文の一節である。 海に囲まれたわが国は、人や物資の輸送、水産資源の獲得、海底開発 […]

  • 女優・岡田嘉子と小樽(その3)

    日付:2017年03月15日 カテゴリー:人

        ▷   ◁ 嘉子の舞台へのきっかけは小樽から 嘉子が舞台女優になることを両親は反対していた。それが認められたのは、小樽で開かれた催しがきっかけである。 父が小樽の北門日報にいたころ、嘉子が来樽し青春のひとときを過 […]

  • 女優・岡田嘉子と小樽(その2)

    日付:2017年03月11日 カテゴリー:人

     嘉子と小樽 岡田嘉子と小樽とのかかわりは、父が小樽区の北門日報社(現在の稲穂2~19)の主筆であったことから始まる。 嘉子は東京美術学校の洋画科に学んでいたが、あと一学期で卒業という冬休みに母といっしょに小樽の父を訪れ […]

  • 明治・大正の小樽をみる(その2)~ニシン

    日付:2017年02月21日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

    A 明治・大正時代のニシン番屋(小樽沿岸) 『海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると 赤い筒袖(つっぽ)のヤン衆がさわぐ 雪に埋れた番屋の隅で わたしゃ夜通し飯を炊く あれからニシンはどこへ行ったやら 破れた網は問い刺し網 […]