カテゴリー:乾児 絆

  • 世界に目を向け 森正則

    日付:2023年09月19日 カテゴリー:乾児 絆

    構想の大きな商売商う 正則は新しいセンスを商人だった。お茶、紙文房具類の卸ろ商として販路を道内、樺太に持っていた早川商店の支配人だった。。正則は、店舗を色内町に進出したさい小売業も兼ねることにした。当時座売りだった小売り […]

  • 鑄鉄工場を設立 七代目 清水孫四郎

    日付:2023年08月23日 カテゴリー:乾児 絆

    漁具政策で地歩築く 七代目孫四郎は心が暖かく、ヨミの深い人ハダの人だった。 安政五年新潟県西蒲原郡燕町字上町で金物相を営んでいた『上田屋』六代目孫四郎の長男として生まれた。清水家は代々燕町で、特産品の和釘(くぎ)を主体と […]

  • 物語をつむぐ町 蜂谷 涼 

    日付:2023年07月01日 カテゴリー:乾児 絆

    蜂谷 涼(はちやりょう)1961年小樽市生まれ。90年「銀の針」で読売ヒューマン・ドキュメンタリー大賞カネボウスペシャル佳作。地元北海道を中心にテレビ・ラジオ出演や講演、舞台劇の原作者として多方面に活躍しながら執筆活動を […]

  • 建築請負業の大頭目 加藤忠五郎商店(稲穂町 電話 一〇二三番 五五五番)

    日付:2023年07月01日 カテゴリー:乾児 絆

    加藤忠五郎氏▷二百五十有余年の舊家(きうか)◁ 大虎 大正初の寅歳に、建築業の成功者で小樽建築界の巨臂(きょはく)たる大虎を家號の加藤忠五郎商店を紹介するに於て、快心を禁じ得ぬ。 店主加藤氏の實家は、越後国三島郡尼瀬で、 […]

  • 妓楼番頭が出発点 早川両三

    日付:2023年07月01日 カテゴリー:乾児 絆

     そのころ中央では小樽をどのようにみていたのであろうか。次に掲げるのは朝野新聞の〈北海道後志通信〉(明一三・七・二一〉である。  …家族を凡そ二千五百軒、人口は一万四千余にして(中略)石狩国札幌市府への要路に当 […]

  • いまの協会病院 慈恵病院を築く 初代 早川両三

    日付:2023年05月12日 カテゴリー:乾児 絆

    情愛深い苦労人 明治三十五年秋のこと、夜両三宅に電話を借りにきた近所の娘さんが、電話のそばで泣いているのを両三が気付き、家の者に事情を聞かせた。その娘さん、父親が病気で寝ていたが、急に病状が悪化したため医者の来診を頼んだ […]

  • 独力で電灯舎 倉橋大介

    日付:2023年05月11日 カテゴリー:乾児 絆

    明治28年初めて灯す 明治二十八年一月、小樽に文明の光が投じられた。大介が独力で経営した小樽電灯舎(加力発で)が百三戸(三百戸ともいわれている)の民家に百三十灯の電気を初めて送電したのだ。 『おーい、大家の家に電灯という […]

  • 其水堂印刷所を創立 塩野喜作

    日付:2023年04月25日 カテゴリー:乾児 絆

    組合の結成にも奔走 現在奥沢村二ノ三四にある桑山其水堂印刷所の創立者。喜作は元治元年山梨県平等村に生まれた。村役場の書記にあきたらず明治二十三年八月、二十一歳のときに来樽、キト旅館の客引きとして住み込んだ。その後名取金物 […]

  • 海運の先導 藤山要吉

    日付:2023年03月30日 カテゴリー:乾児 絆

     深川から増毛に至る留萌本線。そこには十二の駅がある。それらの駅名は北海道の地名と同じパターンでアイヌ語の意訳や訛化を和語にしたものが多いが、そういう常套とは異なって日本人の姓を冠したのが三つもあるから他の鉄道線に比べて […]

  • 開墾企業家 沼田喜三郎

    日付:2023年03月30日 カテゴリー:乾児 絆

     北海道の地名がの大宗がアイヌ語に依拠していることは云うまでもない。純然たる日本語を出典としている例は極めて尠いがいわんや人名になぞらった場合等は微々たるものだ。 仁木は仁木竹吉。京極は京極高徳。北村は北村雄治。月形は月 […]