カテゴリー:乾児 絆

  • ニシン漁に君臨 白鳥永作

    日付:2023年02月08日 カテゴリー:乾児 絆

    祝津 ‶ご三家〟の一人 青山留吉、茨木与八郎、白鳥永作の三人を祝津町の人たちは‶ご三家〟と呼ぶ。ニシンの大網元で明治、大正、昭和にかけて栄えた家。漁のことから町のもろもろまで、この三人が集まらなければ何事も決らなかった。 […]

  • 仏教で店員指導 村住三右衛門

    日付:2023年02月06日 カテゴリー:乾児 絆

    毎年、利益の平等配分も 三右衛門は弘化余年三月十一日石川県能美郡御幸村で農業を営んで居た村住八平の二男として生まれた。父親八平は貧農にいやけをさし三右衛門が少年のころ、農業をきらって家を出たまま行え不明となった。その後、 […]

  • ふ頭建設進める 寺田省帰

    日付:2023年02月03日 カテゴリー:乾児 絆

    「北辰社」の主幹で来樽 一口にいって太っ腹な、いたって話のわかる人。死に金を出すことをなんとも思っていない。会社、公共事業など頼まれたものにはなんでも出した。こういった面はちょっと俗人の目には理解できぬほど。それほど省帰 […]

  • 海運、銀行の設立 向井嘉兵衛

    日付:2023年02月02日 カテゴリー:乾児 絆

    家憲「利益を社会奉仕」 向井家の隆盛のために①子孫を反映させること②利益の二割は社会奉仕にすること③名誉職につかぬこと…という家憲がある。三代目向井真吾(札幌在住)=中△(なかうろこ)向井=はこれをよく守り質素をむねとし […]

  • 政界の大立て者 板谷順助

    日付:2023年01月26日 カテゴリー:乾児 絆

    本道の農業立国訴える 本道政界の大立て者で、昭和の初め衆議院議員として活躍した。 『北海道は農業で生きるべきである』というのがこの人の持論で、日高、上川、雨竜地方に農業を経営、農業の指導機関である道農友会の会頭として当時 […]

  • 仕事一筋の人 柴野仁吉郎

    日付:2023年01月25日 カテゴリー:乾児 絆

    陰ひなたなく懸命に 仁吉郎は明治二十年十月十日新潟県柏崎市荒浜で漁網製造業柴野仁十郎の長男としてうぶ声を上げた。 仁吉郎は長男という重責から中学を出ると家業を継いだが、毎年暮れになると父が漁網の代金を集金するため、来道し […]

  • 小樽‐新潟間定期航路の開設 板谷宮吉

    日付:2023年01月24日 カテゴリー:乾児 絆

    英国から貨物船を購入して 宮吉は一代の成金なり、越後国刈羽郡高浜町大字宮川の人。安政四年一月生まる。明治十六年志を北海道に立てて小樽に渡来し苦境に処して健闘すること数年その後独立して商業に従事…。『北海開発事績』にはこう […]

  • 本道でも米を 石橋彦三郎

    日付:2023年01月23日 カテゴリー:乾児 絆

    上川百万石の生みの親 上川百万石の米産地の生みの親といっても過言でない。兄彦三郎の営んで居た呉服商を手伝っていたころから本道特産の大豆を生かすのはしょうゆと、兄の死亡後しょうゆ醸造を始め、東京、大阪方面へどんどん送り込み […]

  • 民衆の航路の開設 藤山要吉

    日付:2023年01月21日 カテゴリー:乾児 絆

    藤山財閥の基礎を作る 『商都小樽を語るには、藤山要吉なしにはあり得ない』といわれるほど、小樽の発展に尽くした藤山要吉は、嘉永四年七月、秋田は久保田本町、油製造業古谷多兵衛の二男として生を受けた。 慶応三年、大政奉還のとき […]

  • 実業界の巨人 金子元三郎

    日付:2023年01月20日 カテゴリー:乾児 絆

     本道実業界の巨人といわれた人。小樽で海陸、物産、肥料販売のかたわら海運業を経営した。また日本生命保険、帝国海上運送火災保険の代理店となり、さらに銀行業にも関係したほか農場を開くなど俗でいう多角経営の祖である。 当時イン […]