カテゴリー:鯡

  • ニシン漁家列伝 小樽関係抜粋 高島場所①

    日付:2017年09月20日 カテゴリー:鯡

     高島場所といわれたのは、現在小樽市に編入されている、色内(いろない)、手宮、高島、祝津(しゅくつし)の四村を指している。色内と手宮は都市化が進み変貌してしまったが、祝津は、往時のおもかげを止め、昭和二十〇年代までは、鰊 […]

  • ニシン漁家列伝 小樽関係抜粋 忍路場所③

    日付:2017年09月04日 カテゴリー:鯡

    本間 栄太郎 忍路郡蘭島町 栄太郎は明治二〇年二月一一日忍路に生まれ、蘭島で育つ。二二才のときから忍路の鰊漁場に歩方の一人として参加。三〇才のとき独立して歩方網の親方となる。その後昭和三六年まで、直営を避け、一貫して、歩 […]

  • ある老親方~その六

    日付:2017年09月02日 カテゴリー:鯡

     本間さんは最後にこういっていた。 「私は自分の思っていること、またしてみたいと思っていたことは、一応全部やってきた。これからの余生は生きている限り元気でいたい。今までの人生で一番想い出になるのは矢張り昭和三十六年四月二 […]

  • ある老親方~その五

    日付:2017年09月01日 カテゴリー:鯡

     北海道西海岸の鰊漁もいよいよ終局に向かい、鰊業者は皆鰊に見切りをつけて転換し、また廃業していった。往年のニシン漁場として繁栄した浜は見る影もなくさびれていった。 沿岸に軒がかたむき、窓ガラスが割れた漁舎が点在し、囲いの […]

  • ある老親方~その四

    日付:2017年08月31日 カテゴリー:鯡

     昭和二十五年四月一日から鰊の物価統制が解除された。そのころコメとニシンだけが解除されないままになってゐたのである。 統制中の鰊の価格は十貫(約四十㌔)一円五十銭で売らなければならなかった。しかしいくら統制令だからといっ […]

  • ある老親方~その三

    日付:2017年08月30日 カテゴリー:鯡

     昭和十年以降鰊の漁獲量がぐっと減ったことから、北海道庁では昭和十二年に北海道鰊対策委員会を発足させ、今後の鰊繁殖問題に取り組んだ。 本間さんは後志地区代表としてこの委員会に参画した。 この時、北海道庁側から示されたのは […]

  • ある老親方~その二

    日付:2017年08月29日 カテゴリー:鯡

     昭和五年は北海道西海岸のニシン漁は石狩川を境として、南方漁場は一尾の漁獲もなく皆無漁に終わった。当時忍路、蘭島海岸で鰊建網が二十六ヵ統建てられていたが、期待むなしく漁期が終わり、翌六年になると浜に流言飛語が流れ始めた。 […]

  • ある老親方~その一

    日付:2017年08月28日 カテゴリー:鯡

     本間栄太郎さんは現在九十二歳の高齢ながら蘭島で矍鑠として毎日ブドウ園の手入れにいそしんでいる。この本間さんは誰にも真似のできないことを三つ成し遂げている。 その一つは北海道西海岸の正規の鰊建網を昭和三十六年まで経営した […]

  • 明治・大正の小樽をみる(その2)~ニシン 83

    日付:2017年02月21日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

    A 明治・大正時代のニシン番屋(小樽沿岸) 『海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると 赤い筒袖(つっぽ)のヤン衆がさわぐ 雪に埋れた番屋の隅で わたしゃ夜通し飯を炊く あれからニシンはどこへ行ったやら 破れた網は問い刺し網 […]

  • ニシン漁家列伝 小樽関係抜粋 小樽内場所⑩

    日付:2017年02月13日 カテゴリー:鯡

    岡崎 謙 小樽区南浜町 岡崎家は佐渡出身。明治八年小樽に生る。先考病没後、弱年にして家を継ぎ、よく精励し家業に倉庫業を加えた。(出典:北海道立志編) また、昭和六年現在宗谷村に、鰊定置漁業七統を経営していた。同年合同漁業 […]