お知らせ・日記

  • ニシン漁家列伝 小樽関係抜粋 小樽内場所②

    日付:2017年01月09日 カテゴリー:鯡

    内田 甚八・末作 小樽市熊碓(現桜) 甚八は福山(松前)生れ。安政年間に熊碓に出稼し、小樽の将来性をみこして、そのまま熊碓に定住した。明治に入ってからは、建網に着手し、嗣子末作のときは、熊碓の前浜に一統、張碓に二統、一時 […]

  • 小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(三)

    日付:2017年01月07日 カテゴリー:発見・新事実

    一 はしがき…その名を轟かしたのである。 斯して先ず商人として海産商が発生し、これ等の証人は海産物を取扱うと同時に多くは、当時本道奥地の開発と鉄道路線の延長に伴って、大小豆、菜豆、馬鈴薯其他の多量の農産物が小樽の市場に蒐 […]

  • あっ 同じ

    日付:2017年01月06日 カテゴリー:出会い

    第一大通を歩いているとこのしめ飾りうちのと同じだ先月18日、しめ縄づくり一緒の方だ見せていただいたのは 確かこれ『プロ顔負けの出来栄えに!』これもこれも手づくりしたんだ! 店のしめ飾りともう一個、作ってみました […]

  • 小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(ニ)

    日付:2017年01月05日 カテゴリー:発見・新事実

    一 はしがき 明治以前の所謂運上屋時代には、運上屋自体が豊富な資力で、独占的に漁獲した鰊や鮭の製品を、自己の所有する千石船(弁財船)に積んで、北陸一体の港や、関門、四国、尾の道、兵庫、大阪、名古屋まで輸送して此れを売り捌 […]

  • 小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷 「新しい道史第38号」より抜粋(一)

    日付:2017年01月04日 カテゴリー:発見・新事実

    本間 勇児 目 次一 はしがきニ 漁業家の繁栄期と鰊漁三 海産商の盛況と鰊不漁の影響四 漁業と繩莚との関係並に雑穀に対する需要の移行五 第一次大戦後雑穀商の旺盛期と衰退六 三井物産支店と鈴木合名支店七 樺太の領有と造材屋 […]

  • 繊維のまち南小樽 

    日付:2017年01月02日 カテゴリー:人

      境内から国道を経て花園町まで、飴細工やカルメ焼き、反物、蝦蟇(がま)の油売りにお化け屋敷やサーカス、見世物小屋などが並んでいた…。 潮祭りがまだ無かった少女時代、私は妹たちとお化粧をし晴れ着に身を包み、それは賑やかだ […]

  • ビール競争

    日付:2016年12月30日 カテゴリー:原稿小樽明治29年からの四十年誌

    によると…また栗林であった雑草の公園も少しく公園らしくなって人が来るようになりまた同志会も翌年より観桜会と称して年々大宴会を公園でひらくようになった。この第一回宴会の時の如きはビール競争の時代で札幌ビールと桜ビールと双方 […]

  • 大正5年の小樽(その2)~サクラビール 44

    日付:2016年12月29日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

     大正時代の職業名の中で、旅人宿、西洋洗濯業、牛乳搾取業、紋書業、楽種業、家具師、写真師、葬具屋、玉突場、四十物(あいもの)商などの表現は面白い。 今回は、大正5年の花園町公園通りにあった店を述べてみたい。   ▷    […]

  • やってきました

    日付:2016年12月28日 カテゴリー:その他

     昨日。石川啄木が小樽新聞をやめたのは確か12月そして1月に釧路へ以前はこの辺りで山の幸 売っていたんだけどなやってきました塩谷の海サーファーはいませんでした家に帰るとこんな大きなミカン初めて気になるその味はりんごもいつ […]

  • 日本郵船小史8~(五)欧州大戦より第二次世界大戦まで(大正5年ー昭和17年)

    日付:2016年12月26日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

    大正初期より昭和にかけ奥地向鉄道の発達により農業開発が大いに進んだ。又沿岸ぞい鉄道の発達により当社の沿岸航路は漸次廃止され、本州・樺太・千島の航路が充実し、本道とこれらとの間に海産物、農産物、日用雑貨を直接輸出する道が開 […]