カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

  • 明治人の小樽②~⑳

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

    スハラ一門の登場 大火事のあとにはセトモノが売れる。 昔からいわれたことだが、明治十五年の寿原弥平次はそれを現実のものとしてうけとった。 折からの不況である。西南戦争のためにお札をどんどん刷ったから、紙幣インフレが全国を […]

  • 小樽の明治人~⑲

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

    天皇ご上陸前の大火災 バイクを恋人のように抱いてフェリーからおりたヤングが、 「これがコタルか」 といった。 いわれた天狗山に雲がかかる。 コタルでは羞しいのだ。 でもオタルがコタルでもいい。 よくぞ来たなウェルカム。小 […]

  • 古き良き「小樽のひとよ」~⑱

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:人

     冬季オリンピック派遣小樽出身選手後援のため小林千代子独唱会を開催/前列中央小林千代子後列左端安達博士(昭和10年)小林は小樽出身  まさかの市長に十六年も、 市政の“赤ヒゲ”安達与五郎 「じゃア、三十分くらい […]

  • 古き良き「小樽のひとよ」名ジャンパーは、小樽っ子ばかりだった~⑰

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

     大倉山のヒーローの九割  最近の道新に、南部忠平さんと笠井幸生選手(今はコーチ)の一頁対談が出ていた。五輪金メダルの大先輩と後輩である。南部さんのロス五輪は一九三二年で、笠井選手の一九七二年札幌冬季と四〇年の […]

  • 古き良き「小樽のひとよ」「うちは前だれ姿が第一」小樽高商開学精神~⑯

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

     ‶昇格〟したボク  我々世代は「商大」なんて言ってもピンとこない。終戦後しばらく」小樽経専といった時代もあったが、小樽高商は小樽高商、懐かしの記憶のスペースに収まるのはそれしかない。 なにやら、えらく固執の態 […]

  • 古き良き「小樽のひとよ」誘致OK。だが、金は地元でつくれだって~⑮

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

    小樽高商、地元新聞大反対の中誕生 フンドシの先生 今は亡き郷土史家越崎宗一氏によると、小樽高商設置要望の第一声は、地元の弁護士・道会議員の小町谷純によってなされた。明治三十年のことだという。 小町谷といえば昔の道政記者の […]

  • 古き良き「小樽のひとよ」北防波堤は明治の聖人がつくった~⑭

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

     気も荒いが仕事もやった長官たち 明治の初め、北海道へやって来た道庁長官など、いずれも血のしたたる大刀を握ったままのヤクザの親分みたいな連中ばかりであった。ヤクザとの違いは、維新の志士と言って、青二才のくせに徳川を倒した […]

  • 古き良き「小樽のひとよ」白系ロシア人の思い出~⑬

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

     豪球ワージヤ 小樽はロマンの町である。 老人手帖をもらうとロがオになってしまい、昔の立った頃を思うことしきりになる。悲しきは小樽の男、その習性である。 小樽のロマンの中に白系ロシア人のメルヘンがある。日本が十五年戦争に […]

  • 山田サンが道をつけたから山田町~⑫

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

    マチの由来を続けよう…。 相生町 明治十一年(一八七八)までは土人家屋が二戸(十一人)しかなく、最初は入船町裏通りといっていた。 住ノ江町 明治十四年までは畑の土地だった。同年の金曇町大火後に貸座敷の移転地に指定され、十 […]

  • 原野と谷川に土人がぽつんぽつん~⑪

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

     どこをみても谷地であり原野である。人の通ったあとを通というのか道路というのか?いやいや松本清張というところのケモノ道であり事実、夜はコンと鳴くやつがとおり時には山のオヤジが立木に背中をゴシゴシやっていた。 町の名だけは […]